2017年10月12日木曜日

「楽器の王」オルガンとモーツァルト

1999年8月27日、大阪いずみホールでは、年二回の「パイプオルガン・シリーズ」の一環として「美しきモーツァルト」というコンサートが開かれた。モーツァルトのオルガン曲のみを特集する企画で、出演者は井上圭子さんであった。
モーツァルトのオルガン曲のみによるコンサートはめずらしく、井上さんも経験がないそうである。もちろんモーツァルトの時代はクラヴィーアの時代で、モーツァルト自身は初期にはチェンバロを、のちにはフォルテピアノを使ったわけであるが、彼は実は、オルガンにも精通していた。彼自身オルガンを「楽器の王」とみなしていたし、ヴェルサイユの宮廷礼拝堂のオルガンをはじめとして、各地の由緒あるオルガンを演奏していたのである。
では、なぜモーツァルトのオルガン曲が少ないのかといえば、それは、彼のオルガンとの付き合い方が、ほとんど即興演奏であったからである。天才少年時代のコンサートにおいて、会場にオルガンがあればその即興演奏がプログラムに含まれるのが常だったし、モーツァルト自身も、オルガンによる即興演奏に自信を持っていた。ザルツブルクからウィーンに出てゆくとき、彼は皇帝ヨーゼフ二世の後援を受ける手段として、オルガンの即興演奏を考えるほどであった。
現存するモーツァルトのオルガン曲は、二つのグループに峻別される。第一のグループは、ザルツブルク時代の宮廷礼拝のために書かれた、「教会ソナタ」である。これは、礼拝の書簡章句の朗読を受けて演奏されたため、「書簡ソナタ」ども呼ばれることがある。オルガン曲といっても、オルガンのソロをふくむものはごく一部で、基本は、オルガンを通奏低音に使った弦のトリオである(管楽器の使われる曲もある)。形式はすべて、単一楽章のソナタ形式で書かれている。このグループに属する作品は、1772年(16歳)のK.67から1780年のK.336まで、17曲ある。
第二のグループは、最晩年に書かれた自動オルガンのための作品群である。これは、1790年秋(K.594)から91年春(K.608,616)にかけて三曲あり、そこには、バッハを思わせるポリフォニーと、《魔笛》を想起させる簡素な透明さを見出すことができる。
「オール・モーツァルト・プログラム」わ組むためには、この二つの分野の作品を取り入れる必要がある。そこで井上さんは、第二グループの三曲に合唱曲《アヴェ・ヴェールム・コルプス》K.618の編曲を加え、三曲の教会ソナタと組み合わせた。その結果、前半においても後半においても、第二グループのあとに第一グループを聴く、という(成立年代とは逆の)流れができあがった。
何より印象的だったのは、両グループのけわしい対比である。おなじ人がなぜこんのに違う曲を書くのか、といぶかしくなるような差違が、両者にあいだにはあるのだ。私はそこから、モーツァルトの晩年の意味を、あらためて考えさせられた。
「教会ソナタ」は、名前から連想されるような、厳粛な作品ではない。それは、世俗化されていたといわれるザルツブルク大司教の宮廷の雰囲気を反映するかのような明るい座興の音楽で、モーツァルトならではの優雅さと流麗さに満ち満ちている。少年モーツァルトは、オルガンを弾きながら、指揮をとったものと思われる。こうした「らしさ」は、晩年の第二グループの作品には、まったく見ることができない。

ミスター東大2017

「楽器の王」オルガンとモーツァルト

1999年8月27日、大阪いずみホールでは、年二回の「パイプオルガン・シリーズ」の一環として「美しきモーツァルト」というコンサートが開かれた。モーツァルトのオルガン曲のみを特集する企画で、出演者は井上圭子さんであった。 モーツァルトのオルガン曲のみによるコンサートはめずらしく、...